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馬のことについていろいろと。

「エピタフ 幻の島、ユルリの光跡」 岡田敦

 

エピタフ  幻の島、ユルリの光跡

 

 

 それは、北の果ての海に図らずも生まれ、取り残され、残存していた、ある種の聖域のようにも感じられた。深い霧の中を一人さまよい、馬を探した夏の日に眼にした光景を、明星を頼りに雪原を歩き、馬とともに夜明けを迎えた冬の日の出来事を、そしてこの島で生まれ育った馬たちの澄んだ瞳を、僕は生涯忘れることはないだろう。

「エピタフ 幻の島、ユルリの光跡」p233

 

 

 北海道の東の海に浮かぶ無人島、ユルリ。自然環境保護のために人の制限が厳しく制限されたその島には、かつて持ち込まれた馬達の子孫が今も生きている。

 知人からユルリの存在を知った筆者は、長い時間をかけ許可を得て島へと渡り、島の風景や馬達の写真を撮影し、かつての島民などに話を聞きながらユルリ島と馬達の辿った歴史を追っていく。

 

 

 この本を開くと、まず、写真家である筆者が撮影した美しい写真の数々に圧倒される。厳しい自然環境であることが分かる、荒々しくも荘厳な島の風景。そこで暮らす馬達の、穏やかでありながら凛とした瞳。写真を見ていると、ユルリの地に自分が立って、その清冽な空気を吸っているかのような気持ちになってくる。

 

 そして、かつての島民や関係者たちの証言を読み進めていくと、ユルリの馬達が置かれている状況が徐々に見えてくる。ユルリに存在する「馬達だけのユートピア」は、決して盤石なものではなく、今この時にだけ存在している幻のようなものなのだ。

 

――馬のいる島をいまの時代に続けていくっていうわけには……。

「無理だぁ」と大河原さんは、僕の言葉をさえぎるように即答した。

「あそこに行って、馬を捕まえる技術があるやつったら……。元来、馬は放すより捕まえるほうが大変なんだ、施設があるならいいけど。続けるってことは、そこにいる馬を経済動物にするってことだ。種馬がいて雌馬がいて、仔馬が生まれて、それが雄だったら去勢するか間引きして競りにかけて」

p100~101

 

――碓氷さんとしては、ユルリ島の馬が将来的にどうなればいいか、考えはありますか?

 碓氷さんは僕のこの問いに、なぜかにっこりと笑った。そしてその笑みを残したままで「まったくわかりませんね」と答えた。

「私にはそれはわかりません。ただ、例えばこれからあそこで繁殖させた場合、閉ざされた環境の中で近親交配になっていきますでしょ。馬の場合は二代ぐらいはいいかなと思っても、ずっととなるとよくないことだから、やっぱり雄は淘汰していかなきゃならない。言葉としてはおかしいのかもしれませんけど、つまり人間の管理のもとで野生状態を保っているという状況をこしらえてあげないといけない」

p118~119

 

――無人島に馬がいるといっても、佐藤さんのような、馬に詳しい方がずっとかかわっていたから、その状態をたもっていられたってことなんですね。

「うん。オラたちだけならとってもじゃないけど扱えないんだわ。だけどな、佐藤さんも、もう歳だからなあ……。オラも歳いったけども、あの人も歳いったから。お互い歳いったから、もう馬を間引くったって、追っかけて走れない。だから、もうこの辺で……みんな歳いったし、ゆるくないからよ、雄を全部抜いちゃって、終わりにするかって……」

p136~137

 

「ずいぶん前のことなんだけど、高倉健がユルリ島に渡るっていう内容のテレビ番組が撮影されたことがあるんだ。それで島の関係者もみんな、結構、協力したんだけどな」

 泰三さんはここで、苦い表情を浮かべた。話の内容は、どうやらあまりいい思い出ではなさそうだ、と僕にも当りがついた。

「馬を間引く場面もとりたいっていうから、実際にやってみせたりな。でもそれが放送された後に結構苦情が来たんだよ。馬の首を絞めるな、かわいそうだってよ。かわいそうって言われてもな、どうしようもねえんだ。野生化してるからよ、手で摑まえるわけにはいかないべ。掛け縄をかけなきゃいけねえからよ、カウボーイみたいにな。それやらねば、捕まえられないからよ。でもテレビでパッと見ただけの人には、そこまでわからない。それで苦情が来て、大変だったんだ。それからもう、テレビの撮影は断ってたんだよな。そういうこともあって、みんなユルリの話はよその人にはしなくなったんだ」

p140

 

 そこに綴られているのは、実際に馬とともに生きてきた人達による「馬達のユートピア」を維持していく困難さである。遠く離れた外側から、ユートピアを維持しろと言うのは簡単だ。けれど、維持には人の関わりが不可欠であり、金銭的なメリットもなく、身体的にも精神的にも労力のかかることを誰が負担してやっていくのか、という問題がそこにはある。

 

 

 馬が動力として必要されなくなった現代、人と馬はどう関わりあって生きていくべきなのか。一見、その理想の一つに見えるユルリ島だが、それは儚い幻のような存在でしかなかった。作中に登場する、碓氷ミナ子さんの次の言葉が胸に刺さる。

 

「あの島の馬たちがこのまま消え去るのを静かに見守る……というなら、それはそれでいいと思うんです。でもゼロにはしたくないから新たに馬を島に連れて行くというのであれば、それは最後まで、人間が責任をもって見てあげないといけないと思っています。その責任というのは、人間の側も一代で済むものではなくて、次の世代、また次の世代へと引き継いでいかなければならないものでしょう」

p118~119

 

 私達は、人と馬とのこれからの関係を、覚悟をもって模索し続けていかなければならない。それを突き付けられる、美しく、そして、とても厳しい一冊である。

「競馬、マイウェイ」 野平祐二

 

競馬、マイウェイ

 

 

 

 私は強い馬、早い馬よりも、癖のある馬、最後のツメの甘い馬、なかなか勝てない馬が好きだ。欠点の多い馬、素質があるのにどこかいじけてしまった馬、本当は人から愛されたいのに、すげなく、照れながら人間を拒絶している馬、人間に冷たい目を投げかけてくる馬、自分を出したがらない馬、そんな馬を勝たせようと走らせているとき、私は騎手の生き甲斐をおぼえる。

「競馬、マイウェイ」 p174

 

 

 騎手としては当時の日本最多勝となる1339勝をあげ、調教師としては名馬シンボリルドルフを育て上げた、名騎手にして名調教師だった野平祐二。しかし、野平さんが”ミスター競馬”と呼ばれて人々に愛されたのは、そうした実績からだけではないようだ。

 

 

 それは、野平さんが本書で自身の騎乗について書いた部分を読んでも分かる。

 

 「私自身は、賭博というイメージをいかに変えてゆくかを考え、競馬文化とはかくかくなんだというために乗っていたんです」「いざコースに出たら、馬と騎手はスターであるという意識を持つべきで、スターらしいスターになるためには、なにかをやらなければならない。それがないと日本の競馬は向上しないでしょう」という野平さん。

 

 そこにあるのは、競馬が誇るべき文化であることを世間に示そうという矜持である。だからこそ、それを軸とした野平さんの「騎手はレースでは、つねに鮮やかで奇麗でなければならない」という”格好付け”は、とても素敵にうつるのだ。

 

 「いとしのフランスよ、永遠の別れではない、また来る。必ず帰ってくる。だから、アデュー(永遠にさようなら)とは言わない。オウルボアール(また会おう)だ」などと書いても、それがキザに見えずにさまになって見えるのは、野平さんの”格好付け”が単なる上っ面だけのものではないからだろう。

 

 

 また、野平さんが果敢に海外に挑戦していった部分を読めば、その進取の精神も感じ取ることができる。

 

 スピードシンボリアメリカやヨーロッパに果敢に遠征し、シンボリの和田共弘メジロの北野豊吉らと共に日本ホースメンクラブを設立してヨーロッパの大レース制覇を目指した野平さん。残念ながらスピードシンボリも日本ホースメンクラブも結果を出すことはできなかったけれど、スピードシンボリの海外遠征で得られた知識や経験はのちに日本馬が海外で大レースを制する土台となったし、日本ホースメンクラブが海外で購入して日本に繁殖として持ち帰ったフィディオンダンディルートシェリルらは続々と優駿を生み出して日本競馬のレベルアップに貢献した。

 

 野平さんが、日本を留守にして海外に固執することに対して浴びせられた冷ややかな視線をものともせず、本場の文化を知ろうと飛び込んでいったことで、日本の競馬は大きく前進できたのである。

 

 

 競馬への真摯な姿勢と深い愛情があり、バッシングも恐れずに海外に挑戦していく開拓者精神をもち、かつ騎手としても調教師としても立派な成績を残した偉大なる競馬人。それが野平祐二であり、だからこそ彼は「ミスター競馬」と呼ばれたのだろう。これほどの競馬人を先達として持てたというのは、私たちにとって誇るべきことである。日本の競馬を文化として誇る気概のある人ならば、必読の一冊。

 

「装蹄師 競走馬に夢を打つ」 柿元純司

 

装蹄師―競走馬に夢を打つ

 

 

 装蹄師の筆者が、装蹄師の生活、これまで装蹄をしてきた馬、馬の脚の故障を装蹄でどう予防・治療するのか、などについて語った本。

 

 

 装蹄師というのは騎手や調教師とは違ってなかなかクローズアップされることのない職業なだけに、長年競馬に親しんでいても、この本ではじめて知ったことも多かった。JRAには装蹄師がどのぐらいいてそれぞれ何頭ぐらいを担当しているのか、1頭の馬に装蹄をすることがどれだけ大変なのか、脚の故障を直したり防いだりするためにどんな装蹄の工夫をしているのか、名前を聞いたことのある活躍馬達がどんな脚元の問題と戦いながら走っていたのか、などなど。読めば競馬を今までとは違った角度からも見られるようになる、有意義な一冊だと思う。

 

 特に印象的なのは、調教師や厩務員や装蹄師が、馬を無事に走らせて満足のいく競走生活を送らせてあげるために日々どれほど情熱をかけて仕事をしているのか、が全編を通して伝わってくること。

 

  馬が入厩してくれば、なんとか競走馬になれるようにと頑張り、出走すれば勝負以前に、無事走れよと祈り、勝てばもちろん大喜びだが、着順もわからないほどだとなおのこと、脚は無事かとテレビ中継を食い入るように見る。

 競走中の故障は一番残酷なもので、自分の担当の馬でなくても胸が潰れる思いがする。こういったこともままある悲しいこと。馬が競馬という役目を無事終えて牧場に帰ったり、第二の生活へ巣立っていく姿を見聞きすることこそ、私たちをとても幸せな気持ちにしてくれることなのである。

 競馬にたずさわる一人一人の胸を開けば、無事是名馬なり、の言葉が詰まっているに違いない。

 

といった文章には、競馬を楽しませてもらっているファンの一人として、深く頭を垂れたくなった。

 

 

 発行が1994年と古いだけに「それはどうなんだろう」と筆者に反論したくなるような箇所もちょこちょこと見られるのだけれども、それを差し引いてもおもしろい本で、競馬をもっと深く知りたいという人にはお勧め。

 

「馬の世界史」 本村凌二

馬の世界史 (中公文庫)

 

 

 馬という生き物は、人類の歴史においてどんな役割を果たしてきたのだろうか。筆者は、馬はどうして家畜化できたのか、馬の利用による移動範囲の拡大・移動時間の短縮が世界をどう変えたのか、騎馬遊牧民族国家が東西文明へどんな影響を与えたのか、現在の人と馬との繋がりは、など、古代から現代まで連綿と続く人と馬との関係を多角的に探っていく。

 

 

 簡単に言えば、「馬とめぐりあったおかげで、おそらく人間の文明は、数百年、あるいは数千年も、速く進展しただろう」ということを、時代ごとに例を挙げながら説明している本。

 

 内容で特に興味深かったのは、匈奴フン族突厥、モンゴルといった騎馬遊牧民族が、ユーラシア大陸の東西にあった大国家に対してどんな影響を与えたのか、というくだり。中央アジアに覇権を唱えた騎馬民族という存在に焦点を当てながら世界史を見ていくと、人や文化が、西から東へ、東から西へと、波紋のようにユーラシア大陸全体で連動して動いていたことがよく分かる。ヨーロッパだけ、中華だけ、で世界史を見ていては分からない大陸全体でのダイナミックな躍動が見えてくる視点であり、これはとてもおもしろい視点であると思った。

 

 

 難を言えば、文章が教科書的でやや堅苦しく、あまり読みやすくはないことか。そうページ数のある本ではないのだが、読み終えるのになかなか根気が要ったのが残念。

 

 

「消えた琉球競馬 幻の名馬「ヒコーキ」を追いかけて」梅崎晴光

 

消えた琉球競馬―幻の名馬「ヒコーキ」を追いかけて

 

 

 

 太平洋戦争後に途絶えてしまった、馬の速さではなく馬の足並みの綺麗さを競ったという「琉球競馬」。筆者は、沖縄各地の馬場跡を巡り、今はなき琉球競馬の痕跡を丹念に掘り起こしていく。2013年のJRA賞馬事文化賞受賞作。

 

 

 中盤まではひたすら地味な馬場跡巡りが続き、沖縄の言葉や地名も独特で覚えにくく、とにかく読みにくい。この本が読み物として優秀かというと、これは否だろう。

 

 しかし、この本が日本の馬事文化に対して果たした役割は、とてつもなく大きい。埋もれかけていた琉球競馬の痕跡を丹念に探り、琉球競馬を知る人達がかなりの高齢となっていく中でその証言をとり、琉球競馬を歴史の中に埋もれさせなかった。それだけでも、筆者には最大級の賛辞が送られてしかるべきである。

 

 

 また、琉球競馬の辿った歴史を知ることで沖縄の苦難の歴史も知ることができる、という点でも本書は有意義だ。

 

 各地の有力者による領土争い、琉球王朝の成立、薩摩藩琉球侵攻、日本政府による琉球併合、そして地獄のような太平洋戦争の沖縄戦へ。激動の沖縄史の中で、小さな在来馬達が美しさを競った平和な競馬は、改良された大型馬による速さを競う競馬へとその姿を変え、やがては戦争に飲み込まれて消えていってしまう。特に、太平洋戦争での沖縄の住民と馬達の被害の大きさは絶句するほどであり、競馬をしていられることがとれだけ幸せなことなのか、それをこれほどまでに教えてくれる本もそうはないだろう。

 

 

 幸いにして、今は琉球競馬を復活させようとする試みも進んでいるらしい。一度は絶えてしまったものを元の姿まで戻すのは並大抵のことではないだろう。けれども、足並みの美しさを競う平和な琉球競馬が再び沖縄で根付き、この先も末長く続いていってくれることを切に願うばかりである。

第34回ジャパンカップ回顧

 

 

 

 

 第34回のジャパンカップを制したのはエピファネイア。掛かり気味に先行しながらも直線で鋭い脚を使って抜け出し、最後は2着のジャスタウェイに4馬身の差をつけての快勝となった。

 

 

 今回のエピファネイアの手綱を取っていたのは、主戦の福永祐一騎手ではなく、C.スミヨン騎手だった。福永騎手がジャスタウェイに乗ることを選んだための乗り替わりだったが、スミヨン騎手は、パドックからだいぶカリカリしていたエピファネイアをギリギリのところで折り合わせ見事エピファネイア菊花賞以来の勝利をプレゼント。一方の福永騎手は、手綱を手放したほうの馬に敗れての2着、という悔しい結果となってしまった。

 

 

 これを受けて、インターネット上では福永騎手の技量を低く見るような意見も多く見受けられた。福永騎手で勝てなかった馬が乗り替わったとたんにこの圧勝劇だから、それは一見すると正しいようにも見える。

 

 

 しかし、それは本当に正しいのだろうか。

 

 

 今回の福永騎手の騎乗はどうだっただろう。中団の内を追走し、直線の入り口で馬場のいいところへとスムーズに馬を持ち出す。ジャスタウェイエピファネイアを捉えられるほどの脚を使えなかったために2着に敗れたけれど、ほぼパーフェクトといっていい騎乗。エピファネイアを御したスミヨンも見事だったが、こと騎乗内容については福永騎手はスミヨンに決して劣ってはいなかった。

 

 また、先週のマイルCSでも、福永騎手は、フィエロをロスのない競馬でハナ差の2着に持ってきている。まあ、ここで勝ったのが前走で福永騎手が乗って1番人気で7着だったダノンシャーク、というのがついていないところなのだけれど、少なくとも福永騎手のマイルCSでの騎乗もケチの付けようのない好騎乗であった。

 

 このところの福永騎手の手綱捌きを見る限り、彼の騎乗技術が未熟だということはない。ここ2週のGIの負けは運が彼のほうに向いていなかったとしか言いようがないし、そもそも今回勝ったエピファネイアはこれまで福永騎手が手塩にかけて育ててきた馬なのだ。

 

 

 もちろん、福永騎手にもまだ足りない部分はあるだろう。横山典騎手や武豊騎手などが時折見せる「そう乗るのか」と驚かせるような戦法での勝利というのは福永騎手には少ないし、そういうリスクの取れなさ、みたいなのが大舞台でのあと一歩足りない部分に繋がっているのかもしれない。

 

 しかし、それでも、最近の福永騎手はきっちりとした仕事をしている。それを見ずして「福永騎手は・・・」と言ってしまうのは、きっちりとした仕事をしている人への失礼な評価であり、それは福永騎手だけでない騎手全体への失礼に当たる行為だろう。

 

 

 仕事内容をきっちりと吟味しよい仕事には賞賛を送る、ということが、命を賭けて競馬をしている騎手に対して私たちが取るべき礼儀であるはずだ。第34回のジャパンカップ、私たちがするべきなのは、スミヨン騎手にも、そして福永騎手にも、その見事な騎乗に対して惜しみない拍手を送ることではないか、と思うのである。

第31回マイルチャンピオンシップ回顧

 

 

 

 第31回マイルチャンピオンシップを制したのはダノンシャーク。道中は中団を追走、直線で馬群をさばいて伸びてくると、最後はフィエロとの壮絶な叩き合いをわずかハナの差で制してみせた。

 

 

 ダノンシャークの今回の勝利は、コーナーで内を回ってこられたのが大きかった、岩田騎手の好騎乗である、というのが世間の評価のようだ。確かに、私が見たところでもコーナーでの内外の差は結果に大きく影響したように思える。コーナーで外を回った4着トーセンラーや6着グランプリボスは、ダノンシャークとポジションが逆だったら勝者になっていたかもしれない。

 

 そして、ダノンシャークが今回のレースで取れたコース取りは、岩田騎手の手綱捌きによるものだけではなく、運に恵まれた部分もあっただろう。枠がもう少し外だったら? 直線でミッキーアイルが内によれずに前が開くのが遅れたら? ダノンシャークは果たしてそれでもGI馬になっていただろうか? おそらくそれはノーだと思う。

 

 

 それでは、ダノンシャークは単に幸運だっただけなのだろうか?

 

 

 しかし、それは断じてノーだ。今回のダノンシャークは、本当に本当に強かったのである。天から零れ落ちてきた一生に一度かもしれない幸運、それをしっかりと掴めるのは、それを掴むに足りる力を持っているものだけだ。ダノンシャークが幸運に恵まれていたとしても、前が開いた一瞬を逃さず抜け出せる脚がなければ、最後に並んだフィエロを競り落とせるだけの気力がなければ、勝ったのは別の馬だっただろう。今回ダノンシャークが見せたのは、力のない馬には決して見せることのできない、眩い本物の輝きだったのだ。耐えて耐えてようやく訪れた万に一つの幸運を逃さず捉えた、勝利者たるにふさわしい馬の、堂々たる見事な勝利だったのだ。なかなか大輪の花を咲かせられなくとも、努力も辛抱もこうしてちゃんと実を結ぶことは確かにある。

 

 

 第31回のマイルチャンピオンシップ。その勝ち馬は、幸運で強い、見事な新王者であった。