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馬のことについていろいろと。

「競馬、マイウェイ」 野平祐二

 

競馬、マイウェイ

 

 

 

 私は強い馬、早い馬よりも、癖のある馬、最後のツメの甘い馬、なかなか勝てない馬が好きだ。欠点の多い馬、素質があるのにどこかいじけてしまった馬、本当は人から愛されたいのに、すげなく、照れながら人間を拒絶している馬、人間に冷たい目を投げかけてくる馬、自分を出したがらない馬、そんな馬を勝たせようと走らせているとき、私は騎手の生き甲斐をおぼえる。

「競馬、マイウェイ」 p174

 

 

 騎手としては当時の日本最多勝となる1339勝をあげ、調教師としては名馬シンボリルドルフを育て上げた、名騎手にして名調教師だった野平祐二。しかし、野平さんが”ミスター競馬”と呼ばれて人々に愛されたのは、そうした実績からだけではないようだ。

 

 

 それは、野平さんが本書で自身の騎乗について書いた部分を読んでも分かる。

 

 「私自身は、賭博というイメージをいかに変えてゆくかを考え、競馬文化とはかくかくなんだというために乗っていたんです」「いざコースに出たら、馬と騎手はスターであるという意識を持つべきで、スターらしいスターになるためには、なにかをやらなければならない。それがないと日本の競馬は向上しないでしょう」という野平さん。

 

 そこにあるのは、競馬が誇るべき文化であることを世間に示そうという矜持である。だからこそ、それを軸とした野平さんの「騎手はレースでは、つねに鮮やかで奇麗でなければならない」という”格好付け”は、とても素敵にうつるのだ。

 

 「いとしのフランスよ、永遠の別れではない、また来る。必ず帰ってくる。だから、アデュー(永遠にさようなら)とは言わない。オウルボアール(また会おう)だ」などと書いても、それがキザに見えずにさまになって見えるのは、野平さんの”格好付け”が単なる上っ面だけのものではないからだろう。

 

 

 また、野平さんが果敢に海外に挑戦していった部分を読めば、その進取の精神も感じ取ることができる。

 

 スピードシンボリアメリカやヨーロッパに果敢に遠征し、シンボリの和田共弘メジロの北野豊吉らと共に日本ホースメンクラブを設立してヨーロッパの大レース制覇を目指した野平さん。残念ながらスピードシンボリも日本ホースメンクラブも結果を出すことはできなかったけれど、スピードシンボリの海外遠征で得られた知識や経験はのちに日本馬が海外で大レースを制する土台となったし、日本ホースメンクラブが海外で購入して日本に繁殖として持ち帰ったフィディオンダンディルートシェリルらは続々と優駿を生み出して日本競馬のレベルアップに貢献した。

 

 野平さんが、日本を留守にして海外に固執することに対して浴びせられた冷ややかな視線をものともせず、本場の文化を知ろうと飛び込んでいったことで、日本の競馬は大きく前進できたのである。

 

 

 競馬への真摯な姿勢と深い愛情があり、バッシングも恐れずに海外に挑戦していく開拓者精神をもち、かつ騎手としても調教師としても立派な成績を残した偉大なる競馬人。それが野平祐二であり、だからこそ彼は「ミスター競馬」と呼ばれたのだろう。これほどの競馬人を先達として持てたというのは、私たちにとって誇るべきことである。日本の競馬を文化として誇る気概のある人ならば、必読の一冊。